|
  |
  |
|
|
 |
|
|
|
|
|
|
|

|
私は幸運なことに、談氏玄空学、そして日本で初めて伝えられた演本法師の風水口伝を学ぶことができました。
この下に紹介されている方々は天文地理(風水)の真髄を現代にまで伝え、研究に没頭された歴代の方々です。
談養吾や演本法師はご自身を無常派とは名乗っていませんでした。
談氏は後に自分の鑑法が間違いだったと気づいた時、その鑑法を使用していた当時の多くの風水師達に批判されることを覚悟しながらも、そのことを新聞に掲載されたそうです。
この談氏の勇気ある誠実な行動は、流派にこだわらない真の研究姿勢によって間違った鑑法に固執せず、正しい道へと進むことができたのではと、私は思うのです。
私もこの先輩方のスタンスを見習って研究に取り組んでいきたいと考えています。
そしてこの諸先輩方々は風水によって多くの功績を残された達人というだけでなく、その真摯で高潔な人物像に天が機密を与えたのではないかと私は感じるのです。
|
|
|
 |
|
  |
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
| |
 |
| |
|
| |
談養吾祖師 |
談養吾祖師が風水の研究を始めたのは19歳頃、当時90歳という高齢にあった楊九如老師の弟子となってからであった。その後、別の師父の下で陰宅理論を学ぶ。しかし、後にこの理論の誤りに気付き、新聞などを通し公に謝罪し、責任を持って過去の誤りを訂正。1922年には上海市成都路七百一十六号に最初の風水学院である三元奇術研究室を開き風水の研究と実験に没頭する日々を送る。また、1923年には最初の著作である三元地理大玄空路透を、続く1924年には第二作目の三元地理大玄空実験を出版。しかし、太平洋戦争、共産党による統治の下、殆どの貴重な資料、出版物が焼失してしまい、2巻の著作のみ戦火を免れた。1949年、談祖師は残ったこの貴重な2巻を後世に残すため南方に移住する弟子の虚明法師に託す。後にこの2巻は虚明法師より弟子の劉育才老師に伝えられ劉老師の手で再出版される。
|
| |
|
| |
尤惜陰法師 |
演本法師は俗名を尤雪行または惜陰ともいい、無錫の出身であった。尤法師は談養吾祖師の嫡伝弟子で1920年代後半に最初の著書である東方之科学宅運新案二巻を表す、後に尤法師の弟子が陰、陽宅に関する三巻目を出版する。第一巻には195の事例研究が第二巻には260の事例研究が紹介された。1932年尤法師は大徳徳玉和尚に請われシンガポールに渡りその地の北京法源寺に暫くの間逗留し、後インドネシアに移られ中華仏寺を建立、その後も精力的にビルマ、インドと回られ、最後にマレーシアはペナン島に落ち着かれた。又、1945年にはシンガポール仏教総会で重鎮の地位に付かれ指導的役割を果たす。晩年はマレーシアのカメロン・ハイランドに仏教寺院の三宝寺を建立、1950年より健康的なこともありペナン島に戻られ風水の指導に当たられた。仏教、風水と多岐に渡る教育に活躍された尤法師であったが1957年7月24日にペナン島でその一生に終止符を打たれた。
|
| |
|
| |
虚明法師 |
虚明法師は1920年中国江蘇省淮陰県に出生、俗名を周国棟といった。19歳の時に出家し22歳の時南京の宝山慧寺にて具足戒を受ける。その後、談養吾老師の下で三元大玄空風水を学ぶ。1949年、国外の仏教活動に携わることになった虚明法師に談老師は戦火を免れた貴重な玄空風水研究文献の入った笈を託された。旅の途中、香港の普陀寺に暫く逗留、1953年にペナン島に到着、仏教学院にて僧の指導の任に就く。1956年、カメロン・ハイランドの三宝寺にて偶然にも尤惜陰法師と出会いこの時初めて互いが談養吾老師の弟子であった事を知る。しかし、この出会いは長く続かず、尤法師は翌年の1957年ペナン島に戻りそこで病気の為逝去された。数年後、虚法師は自ら考案された三宝油の秘伝をシンガポールの会社に売却し、その資金でジョホール・バルに土地を購入、1987年観音寺を建立、また1987年には老人養護施設を立ち上げた。1983年に劉育才老師に拝師を許され談養吾祖師から伝わる数々の奥義を劉老師に伝授され1998年7月5日にこの世を去られた。 |
| |
|
| |
宏船法師 |
宏船法師は1950年より尤法師の下で風水を学ぶ。その後、風水に精通された宏船法師はシンガポールにおいて数多くの著名人に助言を請われる風水師として活躍。1987年4月12日付けの南洋商報日曜版にその活躍の一端が紹介された。1973年、シンガポール・ハイアット・ホテルより宏船法師に風水鑑定の依頼があった。当時、ホテルは客室の占有率が低くその打開策を模索中であった。依頼を受けた当初、客室の占有率は40%であった。同年、宏船法師の指導によりホテルは玄関の改装、そして玄関前方に新しく噴水を設置。宏船法師の指定した日の午前10時に噴水を始動、すると同日の午後2時に航空会社より747が欠航した為380人の部屋が必要との電話が入った。噴水を稼動させてから四日後にはホテルはすでに満室状態になっていた。さらに、改装後から一年目には客室の占有率は57%、翌年は69%、三年目には75%と記録を更新していった。宏船法師はまた1973年にハイアット・ホテルは10年後には第二玄関が必要になると予言。実際、1979年にホテルはついに100%の客室占有率を達成し、宏法師の予言どうり1984年には施設の増築が行われた。宏船法師の予測はホテルが六運から七運に移行する時期を示唆していた。 |
| |
|
| |
劉育才老師 |
劉育才老師の風水の探求は1973年に始まる。幾人かの師父の下、隠宅陽宅風水を学ぶ。1983年に新山観音仏院に虚明法師を訪ね拝師を許される。その後、虚明法師より談氏三元玄空風水の奥義を伝授され第四代伝人となる。1984年よりマレーシア、シンガポールで後進の指導に当たる。。 |
| |
|
| |
詳しくは |
http://www.genku.info/index4.html |
| |
|
|
| |
|
|
|
|
|
|
  |
|
2008 Feng Shui Office8 All Rights Reserved. |